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{3000问求助}日本的寺社势力是如何被削弱的呢?

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更新:07-27     编辑:     来源:    
  • 最近在看陈杰的《幕府时代》,有一个问题,在镰仓时代、室町时代屡屡生事的寺社势力,为何在江户时代相安无事?而且《江户幕府》一书也没有提到,对寺社势力有何大动作。那么寺社势力是在安土桃山时代被削平了?具体过程如何?恳请大方之家赐教。


    网友评论:

    明治 排佛弃释

    诸宗诸本山诸法度

    织田信长杀了不少

    信长和猴子的功劳,本愿寺一死其他寺庙就老实了。

    三千世界に尸を晒すが良い。天魔轰临! これが魔王の『三千世界(さんだんうち)』じゃーっ!!

    没有强力的世俗君主的弹压,宗教势力起来自然而然。

    见三武灭佛
    宗教力量历来都是被打服的
    佛道也不是一开始就像现在这样和谐的

    废除乐座直接断掉寺社集团的财政收入,然后把跳得最高的一向一揆屠得差不多

    被信长杀怕了,本愿寺剩下的那批人后来投靠丰臣秀吉也乖的很


    明治那是江户的后面了啊

    信长杀得,我杀不得?

    制定法律,通过寺社奉行来管理,不遵守的就没收土地,取消僧籍,甚至处以刑律

    直接贴wiki吧

    安土桃山時代

    信長が本能寺の変で死ぬと、彼の家臣の豊臣秀吉が実質的な後継者の座についた。秀吉は概ね信長の路線を引き継ぎ、自身に敵対した根来寺や高野山を屈服させた。さらに有力寺社を大坂城の城下町へ引っ越しさせたり、僧兵の影響力が大きかった大和に弟・豊臣秀長を派遣したり、刀狩・惣無事令によって寺院の武装解除を大きく進めるなど、寺社への統制を強めた。寺院の統制と武装解除は続く江戸幕府でも大きな問題として引き継がれていく。
    江戸時代

    豊臣秀吉の死後に権勢を掌握した徳川家康は、寺院諸法度を制定し、寺社奉行を置き、仏教を取り締まった。さらに人々を必ずいずれかの寺院に登録させるようにし(寺請制度)、布教活動を実質的に封じた。当時最大の仏教勢力であった浄土真宗の本願寺に対しては、お家争いにつけ込んで東西に分裂させ、結果的に勢力を弱体化させることもした。

    また、1665年に江戸幕府は寛文印知と諸宗寺院法度の制定を行い、仏教寺院に寺領を安堵する一方で更なる統制(檀家制度)を行い、江戸幕府が日蓮の教義を信じない事を理由に従う事を拒絶した日蓮宗の一派の不受不施派は、禁教令のキリスト教と同様に厳しい弾圧を受けた[5]。

    1654年に来日した明の隠元隆琦は黄檗宗を布教している。

    织田信长的贡献最大,丰臣政权和德川幕府都是受益者和继承者。

    石山战败,加贺沦陷,长岛被屠,最有战斗力和病毒性的一向宗被打断了狗腿
    其他贵族宗派,纪伊被打平,比睿山被烧。大和降伏
    信长抽脸,秀吉给枣,家康明捧暗削,和尚就跳不起来了


    啊,这个讲得很清楚了,就是这个,非常感谢.


    寺社奉行从镰仓幕府时代就有了,之后的历代幕府都保留了整个职位,还记得一休里的新佑卫门吗,其职务就是寺社奉行。

    织田信长把激进派都灭了
    丰臣秀吉再用征刀令把中间派都给缴械了
    剩下的温和派,老乌龟一道寺社诸法度就够解决了

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